2010年06月27日
ヤマトは滅ぶ

日本最初の鋳造貨幣です。
天武天皇が造ったのですが、一般には出回りませんでした。
天武天皇の出自は大陸とされます。
コインの両端に刻まれたカゴメ紋を見るなら、イメージがハッキリします。
▽△ であり、真ん中のボチョンは「籠の中の鳥」です。
カゴメ紋の真ん中に鳥を描いたものがメソポタミア文明の紋章でありました。
それを使ったとなると、天武天皇がメソポタミア→イスラエル→日本のルートで渡来したことが証明されます。
神武天皇の軌跡も同じと考えられることから、天武天皇が神武天皇を創作したのではないかと疑われます。
権力者の権威付けにはよく使われる手法ですからね。
メソポタミアから日本の若狭湾までは舟に乗ってるだけで海流が運んでくれるようですから、歴史上は色んな者がこのルートでやってきたと考えられます。
だから、神武天皇の流れもあったと考えてよろしいでしょう。
「神武天皇の体にはウロコがあった」
この貴重な言い伝えがあるからです。
爬虫類人類の流れを受け継ぐ者・・・というわけです。
人類の犯した犯罪・・・血も涙も無いやり方・・・これは爬虫類だからこそできることです。
それらをひっくるめて「人間とは何か」を考えても意味を為さないのです。
彼らは人間に悪魔が乗り移ったからだと信じるよう仕向けてきました。
乗り移ったのは爬虫類であり、元来、悪魔などは存在していませんでした。
それが集合意識に刷り込まれ、悪魔は誕生したようですが^^ま、
ややこしい事は考えないでおきましょう。
天武天皇は二つの政策によって日本と日の本の民から力をそぎ落としたのです。
神社の3本鳥居を2本にさせたことで神社ネットワークの力は削がれました。
また、犬・サル・鶏・牛・馬・の肉食を禁じ、民からエネルギーを奪い取りました。
代わりに玄米のエネルギーを用いさせ、早死にパターンを植えつけたのです。
全ては権力の安泰の為であり、ヤマトの覇権主義による政策でした。
アマテラス皇統を守っていた丹生一族も弾圧され、各地に離散させられたのです。
伊勢を追われ、長野に来て善光寺を創建した「麻績族」もその流れであったと思われます。
しかし、伊勢神宮の寂れた有様だけはナントカしたいと、丹生一族のエージェントによって20年に一度の神殿の建て替え・・・式年遷宮が導入されて今日に至ってます。
神社の2本鳥居と「2拍手」もナントカしないといけないのですが・・・二極の時代は終わりを迎えてるわけですから。
人々の常識と化した「儀礼」を改めるのは容易なことではありません。
余程のことが起きないと無理ムリです。
ヤマトへの畏敬の念もそうです。
ヤマトに追われた丹生一族と日の本の民の復権が待たれます。
Posted by 笹舟 at
22:47
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