2010年06月19日

何故にダライ・ラマなのか?

 ダライ・ラマが善光寺へ・・・

この記事を見た女性の感想は「金儲けばっかりだね」でした^^

一言で本質を表現してますね。

昨日、ある青年が言ってたのは・・・


「イルミナティに魂を売り渡したダライ・ラマ」


こちらもズバリ核心を言い当ててると思います。

傍証となるのは次のダライ・ラマの言葉で、チベット難民内部へ発せられたものです。


「我々はユダヤ人をお手本として生きてゆくべきだ」


同じ流民となりながらも世界の支配階層にまでなったユダヤ民族ですからお手本とする価値を認めたわけです。

チベット仏教の断末魔的な選択と言えるでしょう。

ダライ・ラマがチベットを離れた時点で、チベットを世界の聖地として支えてたクンダリーニ・エネルギーも離れたとされます。

従って、権威だけが頼りのチベット仏教団と見なすのも間違いではないと思います。

何故そうなったか・・・中国の侵略という視点は確かなのか?

現状はそうですが、最初の事実に目を向けるなら中国の「大儀」も見えてきます。

毛沢東率いる人民解放軍がチベットに進攻したのは、チベット仏教NO・2のパンチェン・ラマの要請によります。

チベットの「農奴解放」が目的でありました。

ダライ・ラマは農奴制を容認していたということは、支配者として君臨していたことになります。

ですから「フリー・チベット」・・・チベットに自由を・・・このスローガンの下に行われた側面を見て欲しいわけです。

その後の「共産主義化」は侵略そのものという実態ですが、これも中国の生き残りを賭けたサバイバルな動きと捉えねば判断を間違えることになります。

砂漠化の進む中国にとってチベットの水資源と鉱物資源は手放すことができないものとなってます。

現在の「フリー・チベット」を声高に叫ぶ人達に10億の民の生き残り問題がテーマとしてあるのかどうか・・・

肉を食べながら「動物愛護」を論じるに等しいと言われるわけですが・・・

ダライ・ラマを利用する大国と、ダライ・ラマ集団に利用される人々という図式がよりハッキリとしてきてます。


世界の宗教を束ねるという「使命」を内在化させる善光寺が金儲けの為にだけ行うイベントとは思いたくないですが、多くの人の第一反応はマイナーなものです。

私は特に批判はしませんが、ダライ・ラマ賛美の風潮に対しては相対的に批判となるような表現にならざるを得ないのです。




Posted by 笹舟 at 10:04│Comments(0)
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銀河を渡るに宇宙船艦は要らない。
笹舟があれば充分というカルサをモットーとします。