2010年05月19日
想念を鍛える

クラinカナダさん「妖精の花」
画面から溢れるように揺らぐ叙情のソースを味わってください^^
映りこむイメージの多くは写真を撮る人の想念の反映です。
それも、心根と呼ぶ領域の想いがカタチを為すプロセスと思います。
つまり、その人の基本的な思い・・・願望は何かということに関わるのです。
目くるめく想念の流れは様々であり、誰であろうとマイナーな想念が湧いてくるものでありますが、
そういうものは写り込まないという傾向もあるようです。
これは写真を撮る当人の意思+メッセージ性によるものと見なせます。
マイナーなものにメッセージを乗せることはできないからでしょう。
それは波長が大きく異なるが為の選択と言えます。
マイナー志向の強い人には光のメッセンジャーは微笑まないということです。
では、マイナーな想念をいかに扱うかです。
どう処理するかは殆ど技術的な問題であります。
あるがままを受け入れるというのが楽な姿勢であるなら、湧いてくる想念を受け入れることが前提となります。
変に気張って「思わない」ようにすることなどできませんからね。
それができると勘違いして修行に励んだ者達の苦行を見るなら選択肢は明快です。
受け入れて流す・・・この方法が唯一の楽な道となるのです。
流せないと思うのは最初だけであり、何度でも流せば薄くなってゆく感覚が体感できるハズです。
何にでも限りがあるのだから・・・これも時代のキーワードですよね。
宇宙は無限だとしてた頃は、愛情も無限と思わざるを得なかったのですが、
宇宙にも限りがあることが判ってきた現在では、それに合わせた思考が無理のないものとなります。
生命体に限りがあるのも当然で、女性の作る卵子も生涯に500個くらいと限定されてます。
インシュリンの量も、SOD酵素など「神の定めた定量」と言われるくらい厳密に上限が決まってます。
マイナーな想念も限定付であることを認識するなら目標が定められます。
ただ、欲の念だけは「欲が欲を呼ぶ」という風に爆発的な増殖を行いますから、あらかじめ自分の欲を定量化しておくことが大事となります。
マイナー方向に煮詰まると核分裂くらいの破壊力をもつようになってしまいます。
大体、人間は煮詰まると水辺を求めて行くように設定されてるようで、川や湖や海に出かけてゆきます。
水に流したいからですが、そんな自分を見つめていないと、水辺には来たものの・・・ハテ?
なんて訳が判らなくなり、自分ごとドボンッと流してしまうことになります。
自分を常に観察することの重要度が見えてまいります。
水に流すことは知として行うことですが、知恵の発動となれば変換というテクをもちいることもできます。
想念の変換です。
アイツは憎たらしい・・・・そう思ったら「良いトコもあるのだが」という一言を付け加えることで変換の妙が生じます。
でも、基本は「流す」「捨てる」ことであり、時代の風景でもあります。
流す・・・捨てる・・・その度に人間は変わることができなんて面白いじゃありませんか^^
Posted by 笹舟 at 09:29│Comments(0)