2016年04月27日
現実の継ぎ目

高度1200mドローンからの撮影らしいです。
バリントンて~どこだ?
ま、ともかく、こういう継ぎ足したような光景となるのは極めて珍しいことです。
レッドラインが入ることはよくありますが、その意味の一つがこれで示された感があります。
現実は一瞬一瞬のつなぎ合わせであるから、切れ目が有って当然という見方です。
この場合はご丁寧にもつなぎがダブってるのが見せ場となっており、同じ場面を左にずらした感じなのに、微妙に構成に違いがあるんですよね。
鏡に映る姿は実体のソレと100%同じではない・・・こういう事に通じる何かがあります。
実際、ファインダー越に見た光景と写真に写った光景が同じではないという経験は多くの人が経験してると思われます。
プラスαが写り込んでるのは判り易いですが、微妙に違うというのは、レンズゴーストのせいにされてしまいますが、そのまま違ってる事を受け入れるのも大事じゃないかと思えるのです。
一つの湯のみを写真に撮っても、3次元立体ではなく多次元立体化して、湯のみの底まで写り込む事もあるので、立体視というのにも色々とあるのだという事が判ります。
我々の世界が、3次元オンリーから多次元構造へと移り変わると言われて久しいですが、やはり練習期間というのは必要なようで、そういう事はこれから増えて行くと思われます。
ですから、イチイチ否定するだけではもったいないんで、理解よりもまず味わうという態度が求められるということかも。
理解なんて理屈でそうしても、力強さは味わう事に比べたらわずかなものでしかないですから、五感で味わうのがベターということ。
ある人を理解するのに、経歴を聞いても理解の度は低いんで、臭いで理解すると強烈な印象となる場合があります。
加齢臭・・・それだけで生活態度が推し量れます。
面白いのは、文章を読んでも、触感として受け取れる場合があるということで、こういう場合は本当の事を書いてるな・・・と確信できるわけです。
ですから理屈の世界っていうのは意外と軽々しいものだと言う事ができます。
Posted by 笹舟 at 13:59│Comments(0)