2015年07月28日

歴史の真相

 少しは~手ごたえがありますよ^^

豊臣秀吉・織田信長・徳川家康・・・この3人がサンカの3羽ガラスであったというチャネルがあります。

秀吉がサンカの出であることは、Y人調査員が確かめておりますので、ピースの一つが合えば、他の2つも合うとみるのはセオリーであります。

徳川時代に、サンカが酒造権という利権を獲得したのは、関が原での徳川への協力があった恩賞としてましたが、徳川もサンカであったとなると、イマイチ曖昧だった、徳川の財宝の管理をサンカに一任した事の妥当性が証明されることになります。

レプ・メーソンには財宝を渡さない・・・これは明確な、断固とした戦略であったらしいんです。

そう、3羽ガラスの共通の目的は、レプ勢力から日本を守る事にあった訳です。

関が原の戦いは、「世襲ではなく能力のある者を後継者とする」というサンカの誓いを秀吉が破り、息子を跡継ぎに据え、その上、サンカへの弾圧を始めたから仕方なく成敗することになったということ。

これは織田信長が指揮した・・・本能寺の変はヤラセであり、レプ対応のカモフラージュであったし、信長はサンカの本拠地長野の山奥で70歳過ぎまで生きたとされます。

本能寺で悪役を演じた明智光秀はサンカの神官であり、後に天海和尚となり徳川に協力したという、まことに整合性のある歴史がチャネルされております。

この一大勢力のサンカは秦氏の軍団でありますから、秦氏が単純にYであったとする見解には見直しが必要となりそうです。

Yであっても、レムリアの流れを汲むなら、反レプの布陣を敷くのはもっともな事と言えるからです。

早とちりしてはならんのは、サンカ軍団は秦氏の創設ではなく、縄文末期に分派した縄文人の一派がサンカであり、シャンバラの息のかかった集団として地下での動きを専科とした、そこに秦氏が迎え入れられたということのようです。

縄文末期にはレプ・ヤマトが日本列島に乗り込んで来てましたから、、対レプ戦略は極めて長期のものと成らざるを得なかった故に、地下組織を必要としたわけです。

こうなると、ヤダガラスとサンカの関係も見直しを迫られることになりそうな・・・メンドイ事ですなー。ー

一応、一体化している感じなんですが・・・どうなんだろうね。



ということで、チャネルもこの位の手ごたえがあれば、認めざるを得ないということになります。

総じてチャネルというものは継ぎはぎ伝言ですから、ピース、ピース、ピース、どうしたってジグソーパズルになってしまうんであります。

それでも~楽しめるからいい^^

日本人のするチャネルは何となく優秀の感ありです。

ところが欧米系のチャネルは、ピースにもならん訳の判らないレプ仕様のものが多いので議論の中に埋もれて行くばかりで、駄作が多いのが難点です。

読んでて疲れを感じるようなものはソレでしかないと思った方がよろしいです。





歴史の真相のらカフェ

長野市大岡に開店した農家カフェです。

全て予約制ですから、農作業のジャマにはなりません。

通りすがりの人が寄った場合は、近くの田んぼなり野菜畑に迎えに行けば応対してくれますが、カフェ利用は出来ないかもしれません。

日を改めて・・・となるんじゃないかな。



Posted by 笹舟 at 19:14│Comments(0)
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笹舟
銀河を渡るに宇宙船艦は要らない。
笹舟があれば充分というカルサをモットーとします。