雨が降り続くというのは「浄化」の意味合いがあるとは~よく言われます。
例えば、今年前半の「宮崎口蹄疫」問題の後で雨が・・・これでもか~というほど九州に降りました。
後の神界チャネルでは、全ての毒を洗い流す為に大量の雨を必要とした・・・とありました。
ですから、よく降るなぁ~と思える時には、意味アリアリだと思った方がよろしいようです。
今日の雨には、何か・・・そんな思いを掻き立てる要素があるような気がします。
静かな雨ですから、想念の浄化かなと・・・想念の浄化って
自分の想念を客観的に見つめる訓練をしないと、浄化の必要性があるかどうかも分らないと思います。
自分の想念にハマルことはあっても、客観視することは滅多にないのが普通です。
私は20代の中頃から意識的に客観視を心掛けてきました。
人間を理解したいと思ったのが動機でした。
これをしないと、女性の口説き方も分らないので必死になってた時もありましたが、それこそ~自分の想念にハマルことだと気がついてからは、一生懸命になることは止めて、何気に試みるようにしたのです。
おかげで~自分の行動の意味が分る様になって^^口説き方もカル~クなって調子がよくなってきたのです。
自分や他者の行動を良いか悪いかで判断するクセを多くの人が持ってます。
これは~行動の意味を探究するには非常に邪魔になるわけで、良否を決めたところで探究はストップしてしまいます。
人間の行動には良いも悪いもなく、色んな関係性をもった何かなのです。
目の前をハエが飛んでるだけで、私とハエとの関係性が密接にあることを発見できたら、善悪判断など意味を失ってゆきます。
2000年に入ってから、誰でも数字のぞろ目などを頻繁に見るようになってきました。
興味を持つと、一日に何度も333ばかりを目にするようなことも起こります。
偶然としても、意味の有る偶然と捉えるなら、更に神秘の世界へと誘われて行くのです。
111を見たら、自分の直感に従うのがよい・・・なんて意味が、古代にては意識されてたようです。
三本の木も111ですよね^^
自分の直感を捉えるにも自分を観ていなければできないことです。
女性は多感ですから、直感を手とか背中とかで受ける場合が結構あります。
空に馬が飛んでる・・・見てると手がしびれたからアレは本物だと確信できる・・・そこまで訓練すると
自分の感覚に対する信頼感が増してゆきます。
私は自分の感覚を信頼してます。
間違いはあっても確率の内ですから気にはしません。
人間の病気・・・特にガンなどは「想念の病気」とプレアデスは強調してます。
発癌物質とかは、敵・原因を自分の外に設定するべくこじつけられた原因です。
全ての植物は発ガン物質を生成します。
人間も同じです。
ならば、想念は関係ないなどとは言えないハズですが・・・
人間の想念は、それから出る光(オーラ)の色で体外に表現されます。
そして、体から少し離れたところに溜まります。
頭痛のオーラは顔の前30cmのところに黒っぽく停滞します。
現実は頭痛か~オーラか・・・同じなのです。
オーラの塊を除去すれば頭痛も治るのがその証明と言えます。
雨が想念の浄化に寄与するメカニズムがあるのです。
とはいえ~自助努力が優先されることを忘れては効果の程は半減してしまいます。
せっかくの雨ですから・・・少しの間でも、雨に打たれてみるのもよろしいかと^^
光の傘なんてのもありますから~♪