移住して50年でもよそ者
長野の保守性を表す事柄です。
昔は、世界のどこでも同じだったでしょう。
でも、今の時代においての考え方としては風通しが悪過ぎます。
昨日も、県外から長野市に移住して6年という人と話しましたが、地域に溶け込む努力はしたが、もう~そうしようとは思わないと言ってました。
努力のし甲斐がないという実感を感得してしまったようです。
地域の行事には参加するが、それ以外は他人でいたい・・と。
それが正解でしょう。
オリンピックから田中県政までは風が吹きぬけてましたが、それ以後は元の木阿弥となってしまったようです。
田中知事の場合も、人を2階に上げてハシゴを外すという得意技を使いました。
新聞の世論操作に素直に乗って・・・ね。
私は長野で生まれ、長野で育ち、一時10年程留守にしましたが、木を相手の仕事をしたかったので戻り定着してます。
ですが、周囲と迎合して生きることは拒否してます。
女房殿が県外出身ですから、私が最低限の地区の協力をして摩擦の盾になってるようなものです。
県外に出ても、長野が故郷であるという実感は全くなかったです。
それだけ、生まれた時から異邦人として生きてきたと言えます。
母親もそうですから遺伝的な側面もあるかも・・・
長野に埋没していないから、客観的な見方ができるんで、ホント・・・ガチガチだと見てます。
再び、風通しを良くするのはインターネットの活用しかないと思えてきました。
でも、いまだ発展途上であり、私の気分も浮き草の如しです。
でも、やがて変わらざるを得ないんで、どんな変化を見せてくれるかが楽しみです。