都の南サイトより
何かが生まれる時のような鼓動が感じられます。
何かって・・・光が光りを生む瞬間みたいな・・・
ま、この世は~生まれて死ぬ繰り返しですから、そのサイクルの鼓動が高まる時が楽しみな時と言えます。
死ねば全ては終わり・・・そう思ってるとサイクル・循環・円環・といったダイナミズムを楽しめなくなります。
死ぬまでには00をしたい・・・欲望の充足に集中するようになって「巡り」を忘れます。
まぁ~忘れてから久しいですが、記憶の巡りは悪くても、血の巡りはそこそこにあります。
血の巡りが細胞の死・消滅・生成・を活性化させてくれてることに思い至るなら、人生もまたリフレッシュできることを受け入れ易くなります。
アンチエイジングという発想と同じではないですが、やり直しがきくと分れば気が楽になります。
全ては光でできている・・・光一元論の視点から見るなら、光の操作によってあらゆることが可能になるという観点が生まれます。
それが可能となるのは半世紀先の事と言われますが、個人差はあるゆえ、既に「光の体」を持つひとが居てもおかしくはないです。
光の体・・・もう~病気とは縁の切れた進化形の体です。
光生命体の写真を何枚かアップしてますが、人間の未来を示すお手本として見せられてるのかもしれません。
全てが光でできてるなら、光に戻って行くのが本来的な方向性でしょう。
これは認識の問題であって、タイムテーブルにて調理する段階ではないですが・・・
やがては・・・そうなるでしょうけど・・・今は、方向性の設定が優先です。
死ねば終わりで、人間は土に帰るだけなんて考えは虚無的で重過ぎて問題です。
やはり、霊魂の不滅という理を一般化させないと思考から志向へと移ることはムツカシイです。
集合意識に受け入れられない考えは嫌われます。
だからといって~そんな考え方が一般化するまで待つなんてのも気の遠くなる話で現実的ではないです。
話の通じる仲間だけ集めての集合意識の形成を意図することが求められます。
5人居れば、そして集まれば、遺伝子レベルでの影響が可能となることが分りました。
まぁ~気分的な傾向性のエリアにおいてであり、DNAの塩基レベルにまで影響を与えたいなら10倍の50人が必要らしいです。
50人はね・・・キツイです。
年に一度くらいならイベントで集合も可能ですが、一週間に一度となると5人レベルが限度と思います。
私の仲間は皆さん近くには居ません。
道でバッタリ会うなど一度もないですし、考えることもムリです。
そういった場の制約がある中で、インターネットだけが頼みの綱となってます。
ですから、集合意識はネット上に創出する以外にないようです。