現実は意識の投影
シャスタ便りより
単に川底の光景ですが、自然と一体化が進むと石達も生命体としての姿を見せてくれるようになります。
精神世界の在り方が投影されてる・・・しかも安定した一定のレベルを維持してる様子が伺えます。
石の顔・・・いくつあるんでしょうね^^
ざっと見でも5~6個は直ぐに目につきます。
見ている対象物に顔が出るということは生き物同士のコミニュケーションを示唆されてる感じですが、そこに客観視の視点を持ち込むと、石に向ってブツブツ言ってる様は、大丈夫?と言いたくなるような光景になります。
だから客観視というのは問題がある場合もあるということになるかな。
現実が想念の反映なら、一体化するのが当たり前ですが、この2000年間は2極思考の型にはめられてきたので、精神と物体はイコールじゃなくなってました。
じゃあ古代にはイコールであったかと言うと、数学的なイコールではなく、想念で現実が変えられる・・・という意味での実践を伴うイコールであったようです。
レムリア時代には、想念で子どもをつくるという事を実践してたグループもあったと伝えられてます。
進化のカタチですが、宇宙の種族でコレを当たり前に実践してるのはアークトゥルスの存在くらいかな・・・見当たるのは。
プレアデスの場合は今でもセックスで子どもをつくる段階という事ですが、地球人と違うのはセックスが快楽の対象ではなく子どもをつくる為の儀式みたいな位置付けであるということです。
地球でもセックスに快楽を求めない流れが、草食系というカタチで生まれてきてますので、方向性はプレアデス様式に近いものになりそうです。
このプレアデスであっても、想念と現実の一体化には、それを必要とする時に意識的な操作が行なわれるみたいです。
宇宙船を飛ばす時などは、生き物としての船と一体化する必要があるみたいなので、そうするみたいです。
だから、彼らも3次元を捨ててないわけで、選択的に多次元を生きることができる・・・そんな感じかな。
地球人がプレアデス志向に入ると、レプ達には手を出せなくなるので、プレアデスを悪の権化みたいに宣伝することもやってますが、それはもう~ムリムリとなってきてるので、こちらは意識で切るだけで済みます。
これからは、人によって現実が違うことが、よりハッキリしてくると思われるので、それなりの許容力が求められるでしょうね。
議論などはしないほうがよろしいです^^