ブルーフラッシュ

笹舟

2014年07月21日 22:00

 









ニュージーランド


青い太陽?

これは~考えるのはやめて^^

チャネルを書いておきます。



富士の麓より


桜: センター近くにお住まいのF氏が、前日見た夢の話をしてくれました。

夢の中で、家のドアが「開けろ!開けろ!」と激しく叩かれたそうですが、何故か開けないでいたら、音は止まったそうです。

その後、身体の上に、何かが乗ってきて「死神だ」と名乗ったそうです。

彼は酵素風呂で肺ガンが改善された状態になったのですが、民間療法で改善した事を、別に外部に話す事は無かったようです。

その事に付いて、少し前、小桜はF氏に「貴方には、自分の体験を他人のため役に立てようとする愛がないね」と話した事がありました。

それでドアは開けに行かなかったんですけど、目が覚めてから、ソレが死神だって事が、はっきり判ったんだって。

なぜ死神が来たのか・・・これから生きて行くためには、愛というものが無いとダメなんじゃないかって、話したの。

神: そうじゃの、今は殆どの者で、役目があるのに、全うできない者達が6割居る。

その6割は、今のように自分が助かった事は、自分に価値があったという思いが少なからずとも、どこかにあるんじゃよ。

桜: あ~~~なるほどね。

神: 助けられた、救われたではなくて、まあ言葉は悪いが、自惚れかの。

ワシは必要だったから助かったんだという自惚れがある。

それがゆえに、助けられたではなくて、つまり、その様に思う事は情けないと思ってしまうんじゃな。

今のように本気で伝えようと思う、そなたが言う愛じゃな。

桜: はい。

神: 愛を伝えるという事は、一寸年取っている者達の感覚だと、中々難しい。

その者達に対して、光りを送るしか方法は無い。

しかしそれで気付く者は気付くし、考えがそこに至る者は至る。

ダメな者はダメ、6割のウチの2割気付けば良しと思うて居るが故に、もしも体験してるならば、すぐさま、そういう風に感じている者達が、正直に物事をとらえて、答えられるようになるようにという、光りを送ってやってくれんかのう~~~

何事も全てが祈りじゃ祈り・・・

これは前も言うたとおり、全て全て言葉が発して居る、その言葉の持つ魔力、神力・・・両方兼ね備えているのが言葉じゃ。

言の葉の使い方、そしてその言葉を発するための、最初に起こされる想念、想念の使い方が、言の葉を使い分ける。

判るかの?

桜: はい、少し判ります。

神: 最終的には想念じゃ。

想念・・・言の葉によって、この大気に出される。

しかし、念じておるのは想念。

念を送ってる訳じゃ、言の葉で・・・故に祈りなんじゃよ。

この理屈、判るな?

桜: 判りました。

神: それを使うんじゃ。

じゃから、想念の使い方になる訳じゃよ。

良いか?

桜: 判りました。有り難うございます。尚、ハッキリしました。

神: そうやって使う・・・念というものは、今の心じゃからのう、それを真っ直ぐに伝えてやる、曲げてやる必要は無い。 よいかな?

桜: 有り難うございます。本当に念と想念、ハッキリ判りませんでしたよ、最近まで。

でも、できるだけ集中的にそれを判りたいと思って、少しづつ、少しづつ判ってきて・・・要するに、念というのは、我々が修験者みたいに、滝に打たれて、力んでやるのが念だと思っていたイメージがあります。

しかし、実際にはそうではなくて、当たり前に血肉になってしまった(消化された)思い、これが念ですよね?

神: そうそう、じゃから、恨み言を言う者は怖いんじゃよ。

恨み、辛みを口に出したら、それがそれが出てしまう訳じゃよ。

そして巡りめぐって、自分にピタッっと返って来る・・・そういうものは、ホレ 言うたじゃろう?ブーメラン現象というかの?・・・返ってきてしまう・・・そういう怖い念もある。

桜: そうですね。

神: 念の使い方、よ~~~く学んで下されよ。

桜: 本当にそうですね。今まで、全然、念というものを理解できないで来ましたよ。

本当に、地球人は普通、念を使うって言ったら、修験者とかね、特別な人しか念を扱えないと思って居ますもの。

まさか、それがただ、一番血肉になった、極当たり前に、その人のカラーになった・・・だから使う時には当たり前に使える訳です。

力むことも何も無く。

神: うん、そうそうそう・・

桜: そういうものが念だなんて、地球人のどんな人に聞いたって説明できる人は、殆ど皆無ですよ。

修験者に聞いたって、正しい説明はできないと思います。

神: ・・・つまり、形を変えた祈りも念じゃよ。

桜: ある意味で、そうですね。

神: じゃから、言葉キレイに皆は祈りと言うが、それも念じゃよ、な。

桜: 念です。 ただ祈りと、今までご説明頂いた念との違いみたいなもの、かすかに何かありますよね?

神: あるよ。

桜: 祈りっていうのは、やっぱりそれなりに正座して、キチンとした姿勢で祈っていくという・・・

神: 浄化されたものが祈りじゃ。

純化されたものが祈りじゃ。

そのまま、「生のまま」 で出されるのが念じゃ。

純化して神の言葉として使うか、出されたまま濁りのまま使えば魔の力じゃ・・・なあ、出すものは一つ。

しかし、創造が創りた故に、創造から出たもの、全て二極、もう理解できて居るの?

前がなければ後がない。

前と後ろが揃わなければ、一つじゃない。 二極になる事。

しかし、真ん中中心でとらえれば、一つなんじゃよ。

それが二極を一つにするという事、以上かの。

桜: や~~~ステキな話、今日は叉・・・

神: 以上じゃ。

桜: はい、有り難うございます。 石巻の神様でしょ?

神: うっふふふふ、叉のう~・・それでは。

桜: うっふふふふ有り難うございました