スーザン・オズボーン
歌で自分自身を癒す。
ナウイ感じは致しますが、そういう伝統が無いのでは、かなりの工夫が必要となります。
彼女は毎年、長野に来て、専用ハウスにて滞在してるようです。
もう~10年以上は続いてるんじゃないかな。
10年前に一度だけ対面したことがあります。
歌も聴きました。
長野オリンピックでも歌ったので記憶にある方も多いかと・・・多いかな?
私にとってのインパクトはそう大きくは無かったので半ば忘れ気味でしたが、このポスターが目について何かのヒントがありそうだと思ったのです。
歌声で癒す・・・この観点がこれからの時代にフィットするような感じがしてきたということかな。
癒しというのは、波動でのメンテですから、歌声とは限らず光の波長の選択でも良いわけですが、それは科学者の分野であり、我々が手近で用いるものとしては歌が最適と言えそうです。
歌声で自分自身を癒すとなれば、それに見合った波長の選択ができるかどうかですが、コレは~よく判りませんです。
この彼女もそれができてるかどうか・・・オリンピックなどの不特定多数に向って歌うことはあまり意味があるとは思えません。
フィットするケースがあるからこそ、彼女を評価する人が居るわけですが、いったい~どれほどの確率であるのか?
誰でも癒すことができるというものでは無いと思います。
好みの問題もあるでしょうし、ヒラメキの有無にも関わります。
私にとって癒しとなる歌声があることは実感してますし、大いに魅力がある事柄でもありますから、追究はしたいです。
人は皆、癒しを求めている・・・そんな時代ゆえ追究の価値はあるのです。
しかも、それは簡単な事柄でなければ意味がないと思ってます。
ま、シンプル・イズ・ベストの意味合いに於いてですが。
我々が求めるべきは、最終的な癒しではなく、心地良く感じる癒しなのは、前者に関わるほどのテクノロジーを持ち合わせてないので後者を選択する以外に無いわけです。
ここでもやはり、欲張ってはならないというセオリーが顔を出します。
掛け算ではなく、足し算できる癒しのツールが大事と言えます。
それが~掛け算にになるかどうかは、見えざる手の介在があるかどうかで決まります。
それが・・・意外とあるような・・・^^時代でしょうか。